ラスフェル冒険者ギルド資料室蔵 第三書架・死霊の棚
Bestiarum Vocabulum
── 南街道および周辺諸域における魔獣の観察と記録 ──
── ◆ ──
諸君。この書を手に取ってくれたということは、諸君もまた魔獣という生き物に、殺すか殺されるかという関係以上の何かを見出そうとしている人間なのだろう。実に嬉しいことである。
私はファタ・マ・サノー。先祖代々の領地は帝国の辺境にある小さな谷間の村だが、その領地経営については弟に任せきりで、私自身はもっぱら大陸各地の魔獣を追いかけ回すことに人生の大半を費やしてきた。皇立学院の諸先生方は私のことを「魔物博士」と呼んでくれるが、正確には「魔物に追い回されている博士」と言うべきだろう。先日も地脈虫の巣穴に潜って観察していたところ群れに見つかり、三日ほど坑道の中を逃げ回る羽目になった。
この書は、私がこれまでの野外調査で直接観察し、手で触れ、時には噛まれた魔獣たちの記録である。冒険者ギルドの討伐依頼書に記される乾いた情報──危険度、報酬額、弱点──だけでは伝わらないものがある。彼らがなぜそこに棲み、何を食べ、どのように子を育てるのか。殺す前にまず知ることだ。知った上で殺すのか共に生きるのかを決めるのが、知性ある種の義務ではなかろうか。
もっとも、私は共に生きる方を選んで痛い目を見てばかりいるのだが。
著者手記
この序文を書いている今も、左腕には砦蜘蛛に噛まれた跡がまだ残っている。麻痺毒の後遺症で小指がときどき痺れる。だが後悔はしていない。あの蜘蛛の糸の張力を実測できたのだから、小指の一本は安い代償だ。──ファタ・マ・サノー
図版一一 ── 小鬼全体像の標本図
図版一二 ── グロテスクな頭部と自作の武装
図版一三 ── 岩陰に潜む幼体
基本情報
駆け出し冒険者たちの初陣の相手として、あるいは森の厄介者として、大陸全土に広く分布している最も基礎的な魔獣である。醜悪にひび割れた皮膚、不釣り合いに長い腕、そして薄汚い牙。およそ美しいとは言い難いが、彼らなりの生存戦略の極致であるとも言える。
個体としての武力は極めて低く、農民が振るう鍬でも十分に殴り倒せる。だが彼らの真の脅威はその「小賢しい知恵」と「群れることの暴力」にある。獣の骨を削って棍棒を作り、人間が棄てた武具を拾い、暗闇での視応力を活かして背後から襲いかかってくる。
ラスフェル周辺では、彼らの巣窟となった洞窟の討伐依頼が絶えない。経験の浅い者がまともに洞窟へ踏み込めば無様に死ぬことになる。熟練の冒険者たちは、入口から毒煙を流し込んで巣穴ごと燻り殺す。一見すると無慈悲に思えるが、這い出て来たところを皆殺しにするのが彼らに対する最も正しい対処法なのだろう。
野外観察記録
捕獲した小鬼に自作の金属器を与えてみた。最初はしげしげと眺めていたが、やがてそれで自分の頭の痒いところを掻き始め、しまいにはその金属器を私の顔面に投げつけて逃走を図った。あの鋭い歯鳴らしの音は、明らかに私を「愚か者」と嘲笑っていた。油断ならない悪知恵だ。──ラスフェル近郊、三月
図版二一 ── 灰狼全体の標本画
図版二二 ── 知性を偲ばせる金眼の頭部
図版二三 ── 森の境界で包囲網を敷く群れ
基本情報
ラスフェルをはじめとする辺境の森に広く定着している毛深い追跡者。その名の通り、岩場や枯葉に溶け込むような灰色あるいは煤けたような色合いの毛皮を持つため、深い森の中では景色と同化してしまう。狩人すらその接近に気づかれないことがある。
組織立った包囲網を築くことに長けた魔獣である。通常は三〜五頭の小規模な群れ(パック)を形成し、弱った獲物や少人数の旅行者を執拗に追い詰める。風上から音もなく忍び寄り、茂みがガサリと音を立てた時にはすでに三方向から包囲が完了している。初心者の冒険者が数に頼らず一人で森へ入った場合、真っ先に彼らの胃袋へ収まることになる。
しかし、決して無分別な狂暴性だけを持つわけではない。「絶対に勝てない相手」を正確に見極める眼を持っており、強大な魔力を持つ者が森を歩く際は、木々の影からじっと監視するだけで決して牙を剥かない。人間という種の持つ理不尽な暴力を正しく学習している点が、単なる畜生と魔獣を分かつ境界なのだ。
野外観察記録
群れからはぐれ、脚を引きずっている灰狼の若輩個体を見つけた。干し肉を与えようと手を伸ばした瞬間、手首の関節を正確に狙って噛みつかれそうになった。彼らは慈悲など求めていない。狩るか狩られるかの絶対のルールの内に生きているのだ。その誇り高さには感服するほかない。──ラスフェル近郊林道、十二月
図版三一 ── 岩猿全体の標本画
図版三二 ── 投擲に特化した岩のような前腕構造
図版三三 ── 岩と同化し投石の機を窺う個体
基本情報
岩肌に完全に擬態する体毛と皮膚を持った屈強な霊長類の魔獣である。体格は人間とさして変わらないが、前腕の異様な発達と筋肉の密度が異なる。まるで岩石そのものが命を得て動き出したような質量感と硬度を誇る。
岩猿の恐ろしさは、遠距離からの高度な投擲攻撃にある。彼らは高い崖の上に陣取り、崖下を通りかかる獲物──鹿や山の獣、時には輸送用の馬車──に向かって、自身と同じ色をした巨大な岩石を正確に落としてくる。重力と腕力によって加速された岩の直撃を受ければ、人間の頭など熟れた果実のように砕け散る。
加えて彼らは極めて縄張り意識が強い。人間が彼らの棲み処である岩場を開拓しようとすれば、怒り狂った群れによる執拗な岩礫攻撃の雨を降らせる。魔術を持たない一般的な旅人や行商人にとって、岩猿の潜む峠を越えることは命懸けの賭けとなる。
野外観察記録
岩猿の擬態能力を観察しようと崖下で待機していた。全く見えなかった。完全に岩と同化しているのだと感心していたのも束の間、頭上から突然人の頭ほどある岩が降ってきた。彼らは私の真上にずっと居て、私が油断した瞬間を狙って石を落としたのだ。あれほど悪意に満ちた猿の顔は見たことがない。──ラスフェル南部岩礁、四月
図版四一 ── 巨大な地脈虫の標本画
図版四二 ── 鉄をも摩砕する大顎部
図版四三 ── 研究者の手袋を溶かす幼虫
基本情報
地脈虫を初めて見たのは二十年前のことである。マルディンの坑夫に頼み込んで操業前の坑道に入らせてもらい、壁面を観察していた時だった。足の裏に微かな振動を感じた次の瞬間、岩壁の隙間から黒光りする頭部がにゅっと突き出てきた。眼前の距離である。思わず「おお! かわいいじゃないか!」と叫んだ私を、案内の坑夫は正気を疑う目で見た。
だが実際に美しい生き物なのだ。甲殻は暗い玉虫色の光沢を帯びており、角度によって虹のような色彩が走る。この光沢は甲殻表面の微細な層構造によるもので、観賞用の加工品としての価値も高い。マルディンの土産物屋では甲殻片を磨いたアクセサリーが銀貨数枚で売られている。あの恐ろしい生物の殻が首飾りになるのだから、世の中は面白い。
生態について述べよう。地脈虫は普段、地下深層の岩盤の割れ目に棲んでいる。地上の世界とは本来無縁の古い魔物だ。地中の鉱脈に沿って巣穴を掘り進み、鉱石に含まれる微量の魔力を吸収しながら生きている。バーヴェラ嬢──マルディンの高名な冒険者──は「死骸は地に還る滋養になる」と語っていたが、これは事実である。地脈虫の死骸が分解される過程で、体内に蓄積された鉱物質が周囲の土壌に還元され、新たな鉱脈形成の一助となる。坑夫たちが虫を忌み嫌いながらも「虫の恵み」という言葉を使うのは、この循環を経験的に知っているからだ。
顎の力は凄まじい。鉄をも噛み砕くと言われるが、正確には「摩砕する」が近い。上下の顎が互い違いに動く構造になっており、岩石を粉砕するというより磨り潰すのだ。この顎で噛まれた同僚の右手を見せてもらったことがあるが、骨が複雑に碎けており、治療師の手にも負えなかった。
最大の脅威は集団行動である。地脈虫は振動を感知して縄張りの侵入者を排除する習性がある。採掘の振動が巣を刺激すると群体全体が活性化し、壁からも床からも天井からもわらわらと湧いてくる。坑夫五名、冒険者パーティ二組が壊滅した事例は記憶に新しい。甲殻は硬く剣は滑るため、鈍器か刺突でなければ有効打にならない。さらに体液は腐食性を持ち、皮膚に触れれば爛れる。酸耐性の革手袋は必須の装備だ。
野外観察記録
幼虫を一匹捕獲し、手のひらに乗せてみた。体温に反応して丸くなり、指先を甲殻でくすぐるように動く。実に愛らしい。だが翌朝には手袋を食い破って逃げていた。革手袋ごと溶かしていたのには閉口した。観察は計画的に。──マルディン第三坑道支坑、六月
図版五一 ── 水裂大鉄嘴鳥の標本鳥
図版五二 ── 風の魔力膜を纏う異常な鉄嘴
図版五三 ── 飛槍となって魚を貫く狩りの様子
基本情報
学会での正式名称は「水裂大鉄嘴鳥」と言うが、この長ったらしい名は皇立学院の書庫でしか使われない。ミルノ川流域の渡し守や漁師といった周辺の住民たちは、親しみと畏敬を込めて専ら「貫き鳥」と呼んでいる。私もこの俗称の方が、彼らの生態を端的に表していて好ましいと思う。さながら飛槍である。
初めて空を裂いて飛ぶ水裂大鉄嘴鳥を見た時の感動は忘れがたい。灰色がかった羽毛に覆われた引き締まった体躯、そして何よりもあの嘴。槍を思わせる異様に長い嘴がまっすぐ前方に突き出しているさまは、鳥というよりも飛翔する武器だ。
水裂大鉄嘴鳥は生来の風の魔力を持っている。翼の周囲に常に薄い風の膜を纏い、これが天敵から身を守る甲冑の役割を果たす。弓で射ても矢が風に弾かれて容易には命中しない。帝国の猟師泣かせの鳥だと古老たちは口を揃えるが、そもそも射つものではないだろうに、と私は思う。
生態は実に興味深い。あの長い嘴で水面を貫いて魚を獲る──なかなかの漁師なのだ。川漁師にとっては競合相手であると同時に、魚群の居場所を教えてくれる指標でもある。鳥が旋回している水面の下には必ず魚がいるのだ。厄介だが殺さないのがミルノ川流域の慣習であり、この「殺さない流儀」こそが最も賢明な共生の形だと私は考えている。
普段は温厚──とまでは言わないが、少なくとも人を襲うことは稀だ。しかし春先の営巣期に卵を抱えると気が荒くなる。あの嘴は鋭く、船の板など平気で風穴をあけてしまう。渡し船の船底に修繕跡が多いのは、この鳥の仕業である。
野外観察記録
営巣期の個体に近づきすぎ、嘴で帽子を貫かれた。頭蓋骨から三寸のところを通過した嘴が帽子の鍔にめり込んでいるのを見て、私は生涯二度目の失禁を経験した。一度目は地脈虫の群れに追われた時である。──ミルノ川中流、四月
図版六一 ── 岩蜥蜴の標本図
図版六二 ── 鉄鉱石を取り込んだ強固な鱗
図版六三 ── 洞窟内で岩石に擬態し冬眠する姿
基本情報
最も地味で、最も親しみ深い魔獣がこの岩蜥蜴である。マルディン周辺の鉱山労働者であれば誰もが一度は目にしたことがあるだろう。坑道の入口付近、陽の当たる岩棚の上で動かずに転がっている岩石──だと思って腰を下ろしたら動いた、という笑い話は鉱山町の定番だ。
岩石そのものに見紛う鱗を持つ。これは単なる保護色ではなく、鱗の表面に地中の鉱物質が沈着して形成されるものだ。つまり棲んでいる岩盤の組成によって体色が変わる。花崗岩地帯では白灰色、玄武岩地帯では暗灰色、鉄鉱石の多い場所では赤錆色になる。マルディンの岩蜥蜴が赤黒いのは鉄分の多い土壌のおかげだ。
性質はおとなしい。刺激しなければ人を襲うことは滅多にない。ただし顎の力は相当なもので、噛みつかれれば骨まで達する。冬眠前の秋に食い溜めをする習性があり、この時期だけは積極的に獲物を探して洞窟の外に出るため、山道で遭遇する事例が増える。冬眠中は完全な仮死状態となり、心の臓すら停止するという報告がある。
野外観察記録
冬眠中の個体を見つけ、思わず抱き上げてしまった。ひんやりとした鱗の感触が実に心地よい。まるで生きた岩を抱いているようだ。重い。腰を痛めた。しかし目が覚めた時の顔がまた良いのだ。「何事だ」という顔で私を見る。かわいい。──マルディン北峰洞窟、一月
図版七一 ── 宵狐の標本図
図版七二 ── 光を吸い込む三本の尾
図版七三 ── 森を歩く銀灰色の仔狐
基本情報
宵狐という名は日没直後の薄明にだけ姿を見せることに由来する。真の夜行性──完全な闇の中でのみ活動し、光を極端に嫌う。三本の尾を扇のように広げて走る姿は、森の薄闇の中ではまるで影そのものが地を走っているようだ。
最大の特徴は「属性の均衡」にある。宵狐は四大属性のいずれにも偏らない微弱な魔力を全身に帯びており、これが毛皮に光を吸収する性質を与えている。月明かりの下でさえ宵狐の黒い毛並みは光を返さず、暗闇に溶け込む。猟師たちが「見えない獣」と呼ぶのはこのためだ。
知性は魔獣の中でも高い部類に属する。罠を見破り、追跡者を撒き、時には偽の足跡を残す。家畜を襲うこともあるが、必ず群れの中で最も弱った個体を選ぶ。無駄な殺しはしない。この選別眼は牧夫たちに密かに「羊飼いの裏番」と呼ばれている──病気の羊を見極める精度が牧夫より高いのだ。
野外観察記録
二週間ほど森の中に籠り、気配を消して待ち続けた結果、ようやく仔狐に触れることに成功した。仔狐の毛並みは成獣と違ってまだ光を吸わず、美しい銀灰色をしている。三本の尾はまだ短く、一生懸命に振る姿が愛おしい。親狐が戻ってきたので急いで手を離したが、後で見たら荷物を全部持っていかれていた。復讐だろう。──ラスフェル北方、十月
図版八一 ── 翡翠鰻の標本図
図版八二 ── 深層で獲物を捕らえる鋭い歯列
図版八三 ── 鱗下の生体発光器官の解剖図
基本情報
ミルノ川の翡翠色は、この鰻に由来するという説がある。翡翠鰻の鱗は水の魔力を帯びて微かに発光しており、群れが深層を移動する際に川底が青緑色に光るのだ。フォルカの渡し守たちは夜に川面が光ったら「翡翠鰻の行軍」と呼ぶ。縁起が良いとされている。
蛇のように柔軟な体躯に、帆のような背鰭が特徴的だ。口元に生える髭──触覚器官──で水流の微細な変化を感知し、獲物の位置を特定する。暗い深層で視覚に頼れない環境に適応した結果だろう。歯は小さいが列をなしており、一度噛みつくと引き剥がすのが難しい。
興味深いのは水裂大鉄嘴鳥との食物連鎖上の関係である。鳥が水面近くの魚を獲る一方、翡翠鰻は深層の魚を狩る。生息域が垂直方向に棲み分けられており、競合しない。むしろ鳥が水面を突く振動が深層の魚群を散らし、翡翠鰻の狩りを助けている可能性がある。ミルノ川は一つの生態系として回っているのだ。
野外観察記録
夜間にミルノ川の深みに潜って観察を試みた。水温は骨まで冷えるほど低い。暗闇の中を青緑色の光条が蛇行する光景は──比喩ではなく──この世のものとは思えぬ美しさだった。感動のあまり水中で声を上げそうになったが、そうしていたら溺死していただろう。美は時として命を奪う。──ミルノ川中流、八月
図版九一 ── 砦蜘蛛全体の標本図
図版九二 ── 恐怖の複数眼と麻痺毒の牙
図版九三 ── 谷間に造られた巨大な立体砦状の巣
基本情報
砦蜘蛛の名は、巣の構造に由来する。この蜘蛛は単なる網ではなく、立体的な構造物を構築する。糸を幾重にも張り巡らせた三次元の「砦」は時に直径十メトルに及び、峠の街道を丸ごと塞いでしまうこともある。南街道の迂回路が多いのは、実はこの蜘蛛のせいでもある。
糸の強度は鋼線に匹敵する。通常の刃物では断ち切れず、鉤付きの専用刃物が必要だ。粘着性も高く、触れた者は容易に脱出できない。そして最大の武器は牙に含まれる麻痺毒である。噛まれると局所の痺れから始まり、重症の場合は全身の筋弛緩に至る。致死量に達するには大人で三回以上の咬傷が必要とされるが、動けなくなったところを糸で巻かれるのだから、実質的には一噛みで終わりだ。
しかしながら、砦蜘蛛にも「知性」と呼ぶべき振る舞いがある。巣の構築には明らかな設計思想が見られるのだ。風向き、地形の傾斜、獲物の通過頻度──これらを考慮した上で最適な位置に巣を張る。古い巣を解体して素材を再利用することもある。また、必要以上の獲物を捕らない。巣に十分な貯食があると、糸の粘着性をわざと落として小動物を通過させる個体が確認されている。
野外観察記録
砦蜘蛛の巣に意図的に捕まり、糸の張力を実測する実験を行った。結果として左肩を噛まれ、麻痺毒で三日間動けなくなった。助手が見つけてくれなければ今頃この書を書いている者はいない。だが糸の引張強度が鋼線の1.4倍であることを実証できたのは大きな成果だ。小指はまだ痺れている。──カンネンベルク峠、九月
本書の対象は一般個体の生態記録であり、いわゆる「王種」──通常種とは隔絶した力を持つ異常個体──については今後の研究に委ねるものとする。しかしながら、二十年に及ぶ野外観察の中で得た仮説をここに記しておくことは、後進の助けにはなるだろう。
仮説:魔力偏在集中説
魔獣の「王種」は、特定の地理的・環境的条件の下で魔力の偏りが極端に集中した際に発生するものと私は考えている。地脈虫を例に取ろう。鉱山の地脈に沿って棲む地脈虫は、日常的に土の魔力を吸収しているが、その吸収量は個体間でほぼ均一である。ところが鉱脈の合流点──複数の地脈が一点に集束する稀有な地理条件──に巣を構えた個体は、通常の数十倍もの魔力を長期にわたって取り込むことになる。
地脈の合流点は数百年に一度の地殻変動で位置が変わるため、王種の発生もまた極めて稀な事象となる。マルディンの古い坑夫の間に伝わる「百年虫」の伝承──百年に一度だけ地の底から現れるという巨大な地脈虫の話──は、おそらく王種の出現を語り継いだものだろう。
同様の機構は他の魔獣にも適用できる可能性がある。水裂大鉄嘴鳥の場合、ミルノ川に特異な風の気流が発生する地点──峡谷の出口や急カーブの外側──に長期間留まった個体が、通常種を超える風の魔力を獲得するのではないか。フォルカの古い漁師が語る「白い水裂大鉄嘴鳥」──全身が白銀色で嘴から風の刃を放つという伝承──がもし王種の記録だとすれば、大変興味深い事例となる。
補遺:属性なき種と王種
宵狐のように「無」に近い属性を持つ魔獣における王種の可能性は、格別に議論を呼ぶ問題だ。四大属性の偏在が王種発生の条件だとすれば、属性を持たない──正確にはすべての属性を均等に微弱に帯びる──宵狐に王種は生じ得るのか。私の仮説はこうだ。均等な属性配分そのものが一種の「偏り」である。四大の均衡が極限まで研ぎ澄まされた個体は、属性という概念そのものを超越する可能性がある。つまり王種とは、属性の極端な偏りで生まれるのではなく、魔力の「密度」が閾値を超えた時に発生する変異なのではないか。
これは仮説に過ぎない。だが万粒論の提唱者フランシス・セラ・アンブルームが「四大属性は粒の振る舞いに付けた名に過ぎない」と喝破した通り、属性の区別そのものが人間の認知上の便宜であるならば、魔力の「量」こそが本質的な変数である可能性は十分にある。
この問いに答えるためには、まだ多くの観察と、おそらく私の命がいくつか余分に必要だ。だが心配には及ばない。サノー家の男は代々長寿であり、弟も元気にしている。私はあと五十年は魔獣と戯れるつもりでいるのだ。